Love & peas ! _ profile



peas ●●● エンドーミユキ
 
テディベア作り人。イラストレーター。(肩書きは、こんなものか?公言してしまえば、こっちのものだね)
 
幼い頃より絵を描くのが好きで(多分、父親の血を受け継いだ)いつも何か唄いながら描いていた。唄うことも大好きだったが、今まで誰からも褒められたことは、ない。
 
小学校入学式の日に、みんなで一斉に絵を描かされ、ワタシは画用紙いっぱいにニワトリを描いていた。そこにつかつか‥‥と見知らぬオジさんがやってきて、描きかけのワタシのニワトリを「ちょっと見せてね」と言いながら高々と両手で掲げ「これは素晴らしい!素直な絵です!」と言い放つ。そのオジさんは、校長先生。初めて他人に絵を褒められた瞬間だったので、ものすごく鮮明におぼえている。高々と持ち上げられた絵を見ながら「魚みたいになっちゃったな」と冷静に思っていた。その絵は、しばらくの間玄関ホール正面に貼ってあった。毎朝、上履きに履き替えて、その絵をみながら「魚みたいなのに、なんでだろ?」と密かに思っていた。ことあるごとにワタシの絵は廊下に貼られた。高学年になり、飼育係を希望し、ニワトリの世話をしていたら、目の前で卵を産んでくれて感動。今でもニワトリが大好きである。
 
絵を描く事を好きなまま成長。「油絵を描きたい、絵描きになりたい」という夢は、母親の「油絵では食べていけない」という一言で軽く片付けられ、グラフィックデザイン科・イラストレーションコースに進学。ライヴハウスに通いながらイラストを描いていたかったが、就職時期がきて、早々に就職が決まってしまう。実際卒業する前から働きだす。家を出るための資金を早く貯めたかったし。
 
郵便局に置いてあるパンフレットやポスター、リーフレット等を制作するデザイン会社から採用通知。女性しかいない職場だったので、一瞬お断りしようかと思ったが、面接に行った時にいたカッコいいヒョウ柄ミニスカートのお姉さんの美しい笑顔が忘れられなかったために決めた。入社後、そのロックなお姉さん達に可愛がられながら必死で仕事をおぼえた。就職して10ヶ月後、お金が貯まり家を出る。友達と高円寺で最高に楽しいふたり暮らし。この時期、みうらじゅん先生と知り合う。先生からの依頼で「シェーをした写真を撮ってきて」と言われ、友達に撮ってもらう。その後、そのアホみたいな写真は「宝島」に掲載され笑い話に。トホホ〜。仕事自体は地味だったけど、色々刺激的な毎日だった。大好きなお姉さん達が辞めてしまうまで。しばらくして、ワタシも辞めた。
 
その後、お姉さんの紹介で雑誌の編集を手伝っていたが・・・そこで文字が好きではない事に気付く。これは雑誌編集は無理だと、早々に転職。次は化粧品のポーチやら文具のバインダーやらバッグやらを製造している会社のデザイナー。デザイナーなんてひとりもいない、蔵前にあるしぶーい会社。そこでしばらく頑張ってみたが、やはり何か違うと転職。次は靴下会社のデザイナー。ニットデザインなので、服飾デザインをしていた人が多く、最初はデザインチームには配属されず、値札を付けたり雑用をしていた。すると、デザイナーがひとりふたりと辞めていき、人手が足らなくなり、やっとワタシの出番。靴下のデザインをしながら、絵を描くのが好きなワタシは、展示会等のDMを作らせてもらうようになった。その中の1枚が、コシノジュンコ先生に気に入っていただいたようで、しばらくジュンコ先生のデスク近くに貼ってあったと上司に教えてもらった。ジュンコ先生には、その後に担当したブランド「Miss JUNKO」(Mr.JUNKOのレディースラインだったと思う)の展示会でもお褒めの言葉をいただいた。ワタシは今でもジュンコ先生が大好きである。時折テレビ等で元気なお姿を拝見すると嬉しくなる(だって褒めてくれたんだもん)。
 
5年くらい、靴下のデザインを続けていた時、フト思い立ち、仕事帰りにインテリアの学校に通い始める。いろんな業種の人達と出会う。魅力的な先生にも出会う。卒業制作の発表時、厳しい先生から「パーフェクト、完璧」と評され、作品を学校に残してほしいと言われたが、「パーフェクトなんてあり得ないだろう?」と冷静に思っていた。学校の授業も新鮮で楽しかったが、学校帰りに先生と数人の仲間でコーヒーを飲みながら会話をするのが一番勉強になった。残業で授業に出られなくても、ちゃっかりコーヒーの会には出席していた。卒業して「さてどうしようか?」と思っていた時、友達から「イラスト描かない?」という電話。「描く」と即答し、仕事が終わってから、渋谷にある友達のいるデザイン会社に通っていた。しばらくして「一緒に働かない?」という誘いがきて、面接を受け、転職。再びグラフィック、そして新たにSPデザインの道へ。この時期にillustratorでの作業を習得。イラストをペンや筆だけでなく、マウスでも描くようになった。SPデザインという、初めての仕事も面白く、毎晩終電かタクシー帰りの日々。その後社内で色々あり、デザイナー他5名とともに退社。
 
1993年の冬。「イラストを描きなよ!」とずっと隣で言い続けてくれた友達の誕生日にプレゼントしようと1匹のクマを作り始める。
それがテディベア制作の始まり。残業残業の日々の中、時間を忘れ縫い続けた。平面の生地が立体になり、5ジョイントで動くことに感動。
半年後、大好きなテディベアのお店「Bruin's Bruin」でコンテストがあると知り、応募。「Bruin賞(1994)」をいただく。翌年は、同コンテストで「グランプリ(1995)」!!!
 
グランプリの要因は、メインのクマではなくて、そのクマが持っていたPecaと名付けた小さな耳黒クマのヌイグルミだった。1995年の秋「Bruin's Bruin」のクリスマス企画でPecaの制作依頼をいただき、テディベア作り人の第一歩を踏み出したのだ。「Bruin's Bruin」の
知恵里さんと「Peca」がいなかったら、今のワタシは存在していない。テディベアを作り始めて16年目。初代Pecaちゃんは13歳になった。
 
テディベアアーティストと呼ばれるのは不本意である。peasのクマたちを芸術だと認識していないから。
もちろん芸術家として表現している方達もいらっしゃるので、あくまでもワタシの場合だ。
いつも側にいて、愛したり触ったり話しかけたり笑ったり泣いたりしてほしいのだ。芸術というより、もっとずっと身近に感じてほしいのだ。peasのクマたちは、愛するために愛されるために生まれてくる。そのために、鼻歌唄いながら魂を削りながら縫っているんだと思う。ずっとずっと可愛がられて、ボロボロになっても笑ってて、いつの日かワタシがこの世に生きた証になってくれたら幸せだ。Love & peas !
                                                                                                                                                                        (2008年12月)